2011年4月26日火曜日

なにわ なくとも

このブログを「なにわなくとも」としたのは、駄じゃれである。

お気づきのように「浪花泣く友」と変換すれば文久2年(1862)7月の暑い盛り、大坂(現在の大阪で、当時は大坂と表記した)で坂本龍馬と樋口真吉がばったりと出会ったことを思い出してくれる読者もいるだろう。

このとき龍馬はその年の春3月の末、ふるさと土佐を国抜けして九州へ向かった。
京都へ向けて脱藩するのが土佐の志士の常態であったから珍妙な行動であった。
そして見聞を広げて、素寒貧になりながら、所持品を売り払いながら、浪花(大坂の異称)に入った。

貧苦にあえいでいた龍馬。
天は味方してその窮状を救う男を龍馬の前に連れ出す。真吉だ。

このとき、龍馬を救うに必要なものは、お金だ。
絵に描いたモチをもらっても腹は満たせない。
真吉は肌付きの1両を投げ出した。

とりあえず、お金で解決できる。
だが・・・お金が全てだろうか。

飢饉に悩む発展途上国に食糧援助をする。
緊急事態は回避できる。
だが根本は変わっていないから、また飢饉は起こるだろう。

我々には善意があり、それを動機にした行動がある。
それはそれで結構だ。貴重なものだ。だがもうそれで思考停止していいのか。

2011年4月25日月曜日

樋口真吉

真吉は「集いの人」であった。

かれの周りは人であふれていた。

得意の時も失意の時も。

彼は拒まなかった、集い来る人々を。

笑いがあった、悲しみもあった。

人は生きていかなくてはならぬ。

その悲しさを笑顔のうらに胎蔵させながら、彼は生涯、微笑み続けた。


人は生まれ、そして必ず死ぬ。

その定めを背負った我々、同じ時代に生まれ合わせ、

そして同じときを過ごすというのは奇跡に近いこと。


あなたとわたし、なかよくしましょう。

分かち合いのときを持ちましょう。

きっと明日は明るい。